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「総合説の成り立ち」(用いられる資料) ここには、『邪馬台国総合説 赤椀の世直し』の序章:「南島の弥生時代と原初ヤマトの形成」の中の第一節の全て(およそ、4500字)を掲載し、「総合説」で扱う資料を示しました。沖縄の海辺の村々に伝わる神歌群が、邪馬台国問題を解く重要なカギであることを強調しています。 |
序章 南島の弥生時代と原初ヤマトの形成
第一節 「総合説」の成り立ち
現在までに、ここが邪馬台国だと主張されている場所は三百を越えるともいう。そのなかで九州説と「畿内」説が二大横綱であることは言うまでもない。古代史、あるいは考古学を専門とする学者のほとんどはこの両説のいづれかに属するといっても過言ではない(最近は「畿内」説のほうがかなり優勢のようではあるが・・)。しかし長期にわたる議論を経てもなお決定的な明かりが見えてこないのは、日本の先史古代の歴史像を正しく再現するためにこれまで用いられてきた資料では不十分であることを示唆している。考古学に多くの期待がかけられているが、しかし考古学者の清水真一氏(奈良県桜井市教育委員会)は「発掘すれば邪馬台国がわかる、と発言する学界やマスコミの声とは裏腹に、発掘すればますますわからなくなってきたのが、現代の邪馬台国研究の現状ではないだろうか」と嘆いている。
所在地論はさておき、邪馬台国問題は日本という国の土台に関わる重要な問題であるということは異論がないところである。昨今の「君が代」「日の丸」問題にみられるように、好むと好まざるとにかかわらず、国という枠に縛られて生きている現代人にとっても、国家起源の問題である邪馬台国問題は、単なる過ぎ去った昔のことではなく、現在あるいは未来に関わる重要な問題を含んでいる。
百以上に別れて相争っていたという倭の国々が三十カ国になり、ついには統一されたのであるから、見方を変えると邪馬台国時代は国境がなくなっていく過程であり、本論で詳細に述べるように、弥生時代の後半は、ある思想にもとづく一大変革運動、さらに端的に云えば「革命」の時代であったと考えられるのである。従っていまだに国境争いを繰り広げている現代の国際社会に生きる人間にとって、その運動を詳しく検証することは、有益な考えをもたらし得るまさに未来的問題とみることもできよう。
従来の邪馬台国論に全く用いられることのなかった資料を幾つか採用する。その第一は、『おもろそうし』が琉球王国において編纂される遥か前から、沖縄諸島に存在する古い神歌群である。「赤椀の世直し」という本書の表題にとりあげた言葉はその中で多用されるフレーズである。民俗資料は年代が不明だから史料にはならないという歴史学者の「常識」がある。しかし、ほとんど検討もしないで否定するのは怠慢というものであろう。地中から掘り出される土器などの遺物にももちろん年代が書いてあるわけではないが、考古学者は様々な手段でその年代を決めていく。民俗学的資料もそのような態度で臨めば多くを語ってくれる歴史的資料となるであろう。たとえば、沖縄の神祭りにおいて、弥生時代の日本本土で完成した丁字頭の勾玉を首にした海辺の村の神女たちが、「ヤマトから下りたる赤椀の世直し・・・」と唱える。「世直し」を意味する言葉は、沖縄本島とその周辺の島々で現在文字資料になっているものだけでも、三十以上に変化した語形があるので、極めて古い日本語であることは明らかである。
「世直し」を含むこれらの神歌群が単なる空想の産物ではなく、ある時代に発生した歴史的資料だとすれば、「ヤマトから下りたる」という場合のヤマトは何時の時代のヤマトであろうか。文字に書かれた歴史の時代、すなわち飛鳥・奈良時代以降には、当てはまる時代のないことは明らかであろう。また勾玉の意味も弥生時代、遅くとも古墳時代前期に求めなければならない。このように検討すればこれらの神歌群の中には、というより神歌のほとんどは、弥生時代から古墳時代前期ごろに由来する極めて古いものであり、従って邪馬台国論、すなわち日本国家の起源にせまる有用な資料になるのである。
信じがたいことであるが、古くから沖縄各地で謡い継がれてきたこれらの神歌群は、日本文学の起源を解明する資料としては利用もされてきたが、失われた日本古代の歴史を復元する資料としては、全くといってよいほど無視されてきた。沖縄の古い神歌群が邪馬台国問題を解く重要なカギになることを本書で示したい。
第二に、考古学的資料は邪馬台国論の全般において最も重要であることは言うまでもないが、特に近年明らかにされた弥生時代前期末以降の、沖縄諸島と日本本土の「交流」を証明する資料としての「貝の道」の存在とその合理的解釈は、総合説を支える大きな柱である。ゴホウラやスイジガイ(水字貝)などの巻き貝が、この時代日本本土に盛んに運ばれたが、ゴホウラが「太陽の巻き貝」、スイジガイが「世直しの牛貝」という意味の沖縄名を持つことは、これらの貝が上に述べた神歌の「世直し」に直結することを示唆し、「神歌」の内容を証明する考古学的資料となるであろう。
第三に古事記・日本書紀(以下に「記紀」とする)の神話と風土記である。上に述べた沖縄産の貝で作られた腕輪(貝輪)は、時代が下るにつれ、あるいは東遷・北上するにつれ、青銅や石に材質転換する。この貝輪の材質転換は、日本の歴史上、重要な意義を持っていることは、専門の学者の間でもまだ気付かれていないが、それを解き明かす資料として、風土記や記紀神話が必要である。記紀神話は、通説では奈良の史局において官僚たちが想像で作り上げたものとして、戦後の歴史学界からは抹消されたに等しい。確かに「万世一系の天皇制」をささえるイデオロギーの道具として、それにふさわしく書き換えられていることは疑いない。しかし記紀神話にかぶさる隠ぺいの黒いベールは意外に薄い。そのベールを引き剥がしてみると、「世直し」の時代の「世直し」のための人々の思想と行動が具体的に再現できる第一級の史料となる。
第四に必要な資料として、従来ほとんど無視されてきた四国各地に存在する種々の資料である。たとえば奈良県の前期古墳のなかで突出した規模をもつ箸中(箸墓)古墳の主とも言われ、伝説的には始祖王とも目される倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメ、古事記では夜麻登登母母曾毘売命、以下、百襲姫)と、その父親である「孝霊天皇」に関連する中・四国各地の伝承と信仰は無視できない。何故に百襲姫父子の伝承と信仰が、岡山、香川、愛媛、高知などの瀬戸内海、中・四国に色濃く存在するであろうか。その民俗的信仰の事実は、考古学の成果とも共鳴して、多くの真実を語る資料となる。さきに(「はじめに」)も述べたが、百襲姫の“百襲”とは、沖縄では用字も発音もそのままに、国王あるいは国家統治機構(狭い意味では首里城正殿)のような意味で近年まで使われた言葉であるから、倭迹々日百襲姫の名は、“邪馬台国の女王”という意味を含む(「迹々日」については、ここでは触れない)。
なにゆえに畿内では失われた言葉が九州をも飛び越えて、はるか南方の沖縄に残っており、しかもそれが古代日本の全体像を解くカギになるのであろうか。総合説では、百襲姫が『魏志』倭人伝にいう卑弥呼であるという立場をとるが、従来の単純畿内説では、百襲姫が何者であったかということを説明することができない。百襲姫の出自と行動を解くカギは、四国と瀬戸内海沿岸、そして全く意外であるが沖縄にある。
沖縄本島の与勝半島先端にある一漁村、勝連町字平敷屋に伝わる極く短い神歌の一つ「西の御嶽の御願の時のオモイ」をみてみよう。このような「世直し」を主題とする神歌が、弥生時代以来の勾玉を首にかけた神女(祝女、ノロ)たちによって、沖縄諸島の各地(特に首里・那覇から離れた辺鄙な海岸の村々)でなお数多く歌い継がれている。この「世直し」が「邪馬台国」問題に密接に関わっており、日本古代史を正しく読み解く重要なキーワードの一つになるのである。
原歌 (現代訳)
へー ハーリーハーリー 神がなし
(ハーリーハーリー 神愛し)
へー やまとから下たる赤椀のゆのーし
(大和から下った赤椀の世直し)
へー 中盛らちお酌しやべら
(中盛らしてお酌しましょう)
へー ハーリーハーリー神がなし
(ハーリーハーリー神がなし)
へー やしろから下たる黒椀のゆのーし
(山城から下った黒椀の世直し)
へー はた盛らちお酌しやべら
(端盛らして御酌しましょう)
へー ハーリーハーリー神がなし
(ハーリーハーリー神がなし)
(『勝連村誌』より)
「世直し」と呼ばれる赤いお椀に、神酒をなみなみと注いで神にささげつつ、神とともに世直しを誓う、というのが原初の意味であったと思われ、「へー、ハーリーハーリー」という囃しは、「(舟よ) 走れ 走れ」という意味の囃しであり、早船で海上を疾走する海人(海民)たちの高揚した気分を表わすものであろう。「世直し」を担ったのはこれらの海の民と女性たちであった。現在の沖縄では「世直し」は、“豊穰の世を乞い願う”の意味に縮退しているが、もともとは、今日の標準日本語の「世直し」、すなわち「革命」の意味に近いラジカルな言葉であったことは間違いないと思われる。神歌にあるように、ヤマト由来の言葉であるが、ヤマト(日本本土)では近年までタブーな、あるいは消滅した言葉であったことがその証拠の一つとみなせよう。神にささげる神酒を注ぐ「お椀」だけでなく、神酒そのものもまた「世直し」呼ばれている。今日では、神祭りの場で謡われた数多くの神歌群が、外間守善氏らの努力により、記録され活字化されている。これらの神歌群の主題の一つは、「世直し」であり、沖縄本島周辺の神歌に限っていえば、形容詞が付いて「赤椀の世直し」である。
この「赤椀の世直し」という“ソフト(思想)”と、それを謡う神女たちの首にかかる弥生時代起源の「丁字頭勾玉」という“ハード(遺物)”を広く日本列島の古代史に当てはめれば、弥生時代後半は、現代人にとっては想像を絶するほど大規模な、しかも長期にわたる一大社会変革の時代であったことが浮き彫りにされてくる。南島の神歌群はこの仮説を導き、また検証するための有用な資料となる。もう一つ重要な観点は、畿内を中心に分布する沖縄の巻き貝に由来した種々の考古資料などから分ることであるが、神歌に謡われる「世直し」が日本本土では古墳時代前期のある時期に終焉したということである。
『魏志』倭人伝は邪馬台国問題を解く重要な資料ではあるが、それと考古資料だけで全てを解くことは不可能である。従来、ほとんど無視されてきた沖縄の神歌、伝説、民話などの民俗資料と考古資料を、日本本土の諸資料、なかでも瀬戸内地方のそれと整合させつつ新しい古代史像を総合的に組み立てれば、失われた日本列島の過去を蘇らせることが可能となる。さらにこの問題は、単に過ぎ去った昔のことではなく、現代と未来に関わる重要な問題を含んでいることを、読者は本書を読んで了解されるであろう。
以下に私自身の弥生体験ともいうべき小さな事柄から本論を説き起こしたい。
(以下、略) 以下に続く第二節で述べられる「私自身の弥生体験ともいうべき小さな事柄」は、左の欄「著者」をクリックし、現れる「なぜ私が邪馬台国論か」の「その1」に述べられています。